金門島二泊三日の旅5 二日目の観光ポイント前半 
2017/06/26 Mon. 23:48 [edit]
こんばんは、スタッフZです。
先々週台南に遊びに行ってきました!
そのご報告も早くしたいので、金門島ツアーレポ、
サクサクいきます!
二日目は移動がなく、まる一日観光に使えたので、
たくさんの名所を訪れました。
訪問先は以下の通りです。
1,建功嶼
2,延平郡王祠
3,金水國小
4,得月樓洋樓群
5,金道地蚵仔麵線(←昼食)
6,陳清吉洋樓
7,金門高粱酒史館
8,泗湖風獅爺
9,安岐風獅爺
10,古寧頭戰史館
11,北山播音站
12,高粱田
13,瓊林聚落
14,記德海鮮餐廳(←夕食)
では、簡単に各ポイントをご案内します。
1,建功嶼
金門島10大観光スポットの一つといわれる建功嶼は金門島本島に寄り添うようにある島で、干潮時には歩いて渡れるが、満潮になると歩けなくなり船で迎えに来てもらわなければ行けないので、潮のひく朝一に行きました。

石で舗装された道には海藻に薄く覆われている箇所もあり非常に滑りやすいです。

途中、ガイドの学長さんがずんずんと舗装されていない干潟部分に進んで戻ってくると、その手にはカブトガニの幼虫がいました。カブトガニは金門島や澎湖に生息する生きた化石と呼ばれる生物で、一度夫婦になると一生一緒にいるので、台湾では「夫婦魚」とも呼ばれているそう。

島への小路の途中、振り返れば中国軍の上陸を防御するための武器が海岸に並んでします。

また、この小路の途中に漁民を模したオブジェがあります。おそらく満潮時の時の水位がわかったり、満潮時に小路の位置を知らせるためのものなんだと思います。

そして、島にたどり着くとこの小さな島にはまったく不釣り合いに巨大(9メートル)な鄭成功像。これ意外に新しく2008年に鄭成功の故郷、中国福建省南安市より寄贈されたもので、当初は本島の延平郡王祠に建立されるはずでしたが、最終的にこの建功嶼に福建省南安市を臨むように2009年に建立されたそうです。


2,延平郡王祠
すいません、暑くて朦朧としてちゃんとした写真が撮れませんでした。
3,金水國小
金水國小(金水國民小學)は、アヘン戦争(1840年)以降に金門島から立身出世を志してマレーシアやシンガポールなどの南洋に出稼ぎに行った金門人達が持ち帰った資金で1932年に建てた学校です。
正面入り口は西洋建築の様式のように見えますが、内部は中国の伝統的書院構造になっています。正面側に鷹と天使のレリーフが彫られていますが、自からの海外事業の成功を表し、先祖の功績を称える意味が込められています。


レンガ造りの円柱の上下に正方形のレンガがはめられていますが、その理由の一つはネズミ落とし、もう一つは正方形が事業が順調に進み、円が家族円満を表しています。また、建物の構造が「回」という字のようになっているのも、命がけで海を渡った金門人達の願いである「回家(家に帰ること)」「回郷(故郷に帰ること)」を意味しています。

下の地図は金門人たちがどのようなルートで南洋に渡ったかを表しています。今から100年以上前の話ですから、10人いれば、うち6人は途中で亡くなり、3人は現地での生きるのが精一杯、1人位しか無事帰郷できたものはいなかったので、「六亡三在一回頭」というような言葉も生まれたようです。

そして、この時に初めて気づいたのですが、私が以前住んでいたシンガポールには多くの金門人が渡って商売や事業をしていたそうです。シンガポールにいる間はほとんどその歴史のことを知らずにいましたが、改めてもう一度勉強したくなりました。
4,得月樓洋樓群
得月樓は左側の高い塔の名前ですが、月を得る、つまり早く月を見るために建てられた訳ではなく、1931年に要塞として建てられました。得月樓の隣に、黃輝煌洋樓と呼ばれる黃輝煌氏が同年に建てた西洋と東洋をミックスした建物があります。その頃、この地域は非常に治安が悪く、家族の身は自分で守らなければならず、襲撃があれば外周の塀の門を閉じ、得月樓の小窓から銃で応戦するために、当時では最も高い塔としてたてられたそうです。

塀の中は意匠が尽くされた西洋とのミックス建築がロマンチックですが、外敵の侵入対策の逃げ道や地下通路などがあります。


そして、ここにもシンガポールを思い出させてくれる展示品がありました。ニョニャ(娘惹)料理と呼ばれている料理の数々のサンプルや展示板です。シンガポールにいる頃、よく食べていたデザート、「ボーボーチャチャ」もニョニャ料理の一つだったんですね。これも初めて知りました。


黃輝煌という方はインドネシアでの商売が大成功を収めて帰郷して、この豪奢な館を建てましたが、その資産が狙われ、要塞の中で暮らさなければいけなくなってしまうなんて、悲しいですね。
5,金道地蚵仔麵線
今日の昼食は金門島名物の牡蠣料理でした!

まず出てきたのは、牡蠣の卵焼き(蚵仔煎)と牡蠣の揚げ物(炸蚵酥)。
台北の夜市によくあるオーアーチェンと違ってソースが毒々しいピンクじゃなくて食欲ワク~!

つづいて、店名にもなっている牡蠣麺線。
さっぱりした味付けにセロリの香りが効いててグッド!

そして、二枚貝(海瓜子)の炒め物とサツマイモの芽(地瓜)の炒め物。
テッパンの美味しさです!

もちろん運転手の学長さんには申し訳ないけどビールもいただきました^^;
今日は大分長くなったので続きは次回に。
以上、スタッフZでした。
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先々週台南に遊びに行ってきました!
そのご報告も早くしたいので、金門島ツアーレポ、
サクサクいきます!
二日目は移動がなく、まる一日観光に使えたので、
たくさんの名所を訪れました。
訪問先は以下の通りです。
1,建功嶼
2,延平郡王祠
3,金水國小
4,得月樓洋樓群
5,金道地蚵仔麵線(←昼食)
6,陳清吉洋樓
7,金門高粱酒史館
8,泗湖風獅爺
9,安岐風獅爺
10,古寧頭戰史館
11,北山播音站
12,高粱田
13,瓊林聚落
14,記德海鮮餐廳(←夕食)
では、簡単に各ポイントをご案内します。
1,建功嶼
金門島10大観光スポットの一つといわれる建功嶼は金門島本島に寄り添うようにある島で、干潮時には歩いて渡れるが、満潮になると歩けなくなり船で迎えに来てもらわなければ行けないので、潮のひく朝一に行きました。

石で舗装された道には海藻に薄く覆われている箇所もあり非常に滑りやすいです。

途中、ガイドの学長さんがずんずんと舗装されていない干潟部分に進んで戻ってくると、その手にはカブトガニの幼虫がいました。カブトガニは金門島や澎湖に生息する生きた化石と呼ばれる生物で、一度夫婦になると一生一緒にいるので、台湾では「夫婦魚」とも呼ばれているそう。

島への小路の途中、振り返れば中国軍の上陸を防御するための武器が海岸に並んでします。

また、この小路の途中に漁民を模したオブジェがあります。おそらく満潮時の時の水位がわかったり、満潮時に小路の位置を知らせるためのものなんだと思います。

そして、島にたどり着くとこの小さな島にはまったく不釣り合いに巨大(9メートル)な鄭成功像。これ意外に新しく2008年に鄭成功の故郷、中国福建省南安市より寄贈されたもので、当初は本島の延平郡王祠に建立されるはずでしたが、最終的にこの建功嶼に福建省南安市を臨むように2009年に建立されたそうです。


2,延平郡王祠
すいません、暑くて朦朧としてちゃんとした写真が撮れませんでした。
3,金水國小
金水國小(金水國民小學)は、アヘン戦争(1840年)以降に金門島から立身出世を志してマレーシアやシンガポールなどの南洋に出稼ぎに行った金門人達が持ち帰った資金で1932年に建てた学校です。
正面入り口は西洋建築の様式のように見えますが、内部は中国の伝統的書院構造になっています。正面側に鷹と天使のレリーフが彫られていますが、自からの海外事業の成功を表し、先祖の功績を称える意味が込められています。


レンガ造りの円柱の上下に正方形のレンガがはめられていますが、その理由の一つはネズミ落とし、もう一つは正方形が事業が順調に進み、円が家族円満を表しています。また、建物の構造が「回」という字のようになっているのも、命がけで海を渡った金門人達の願いである「回家(家に帰ること)」「回郷(故郷に帰ること)」を意味しています。

下の地図は金門人たちがどのようなルートで南洋に渡ったかを表しています。今から100年以上前の話ですから、10人いれば、うち6人は途中で亡くなり、3人は現地での生きるのが精一杯、1人位しか無事帰郷できたものはいなかったので、「六亡三在一回頭」というような言葉も生まれたようです。

そして、この時に初めて気づいたのですが、私が以前住んでいたシンガポールには多くの金門人が渡って商売や事業をしていたそうです。シンガポールにいる間はほとんどその歴史のことを知らずにいましたが、改めてもう一度勉強したくなりました。
4,得月樓洋樓群
得月樓は左側の高い塔の名前ですが、月を得る、つまり早く月を見るために建てられた訳ではなく、1931年に要塞として建てられました。得月樓の隣に、黃輝煌洋樓と呼ばれる黃輝煌氏が同年に建てた西洋と東洋をミックスした建物があります。その頃、この地域は非常に治安が悪く、家族の身は自分で守らなければならず、襲撃があれば外周の塀の門を閉じ、得月樓の小窓から銃で応戦するために、当時では最も高い塔としてたてられたそうです。

塀の中は意匠が尽くされた西洋とのミックス建築がロマンチックですが、外敵の侵入対策の逃げ道や地下通路などがあります。


そして、ここにもシンガポールを思い出させてくれる展示品がありました。ニョニャ(娘惹)料理と呼ばれている料理の数々のサンプルや展示板です。シンガポールにいる頃、よく食べていたデザート、「ボーボーチャチャ」もニョニャ料理の一つだったんですね。これも初めて知りました。


黃輝煌という方はインドネシアでの商売が大成功を収めて帰郷して、この豪奢な館を建てましたが、その資産が狙われ、要塞の中で暮らさなければいけなくなってしまうなんて、悲しいですね。
5,金道地蚵仔麵線
今日の昼食は金門島名物の牡蠣料理でした!

まず出てきたのは、牡蠣の卵焼き(蚵仔煎)と牡蠣の揚げ物(炸蚵酥)。
台北の夜市によくあるオーアーチェンと違ってソースが毒々しいピンクじゃなくて食欲ワク~!

つづいて、店名にもなっている牡蠣麺線。
さっぱりした味付けにセロリの香りが効いててグッド!

そして、二枚貝(海瓜子)の炒め物とサツマイモの芽(地瓜)の炒め物。
テッパンの美味しさです!

もちろん運転手の学長さんには申し訳ないけどビールもいただきました^^;
今日は大分長くなったので続きは次回に。
以上、スタッフZでした。
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